散らすナチュラル

確実な安心をお約束

君の空 飛びたかった

マクロスFの曲が聴きたくなって部屋を探したら娘たまがあったので聞いている

いい歌詞だしやっぱ今聞いてもいい曲ばかりだなあ

最近全然聞いてなかったので逆に新鮮に感じる

 

先日友人がその友人の彼氏に会わせてくれた。その人はデザイン関連の仕事をしている人なのだが、写真というものに悩んでいた私にとてもありがたい言葉をかけてくれた。「死ねよ、写真と心中しろ」そうだよなあと思った。納得という言葉を今初めて正しく使えたような気もする。というより、写真を撮りはじめて楽しくて仕方なかった時は自分の撮る写真が一番好きで、それこそ心中するような気持ちでいたのを思い出した。誰になんと言われたって私は私の写真が好きだ。そう思っていたはずなのに今の私のこのザマはなんだ。私は自分が途端に恥ずかしくなった。

 

なんだかずっと外聞や他人の評価を気にしていた気がする。他人に認められるには写真しかないんだって思っていた。今も少しはそう思うけど、多分それだけじゃないんだよな。大学に入って学んだのはそれだ。私は人間として何枚も上手な同級生たちが羨ましかった。私は写真しかやって来なかったのになって思ったから。でもそれもきっと甘えだ。甘えていた、本当にいろんなものに。それでもそんな自分が好きだったのにな。どうしても私は自分と他人を比べてしまう。でも、多分比べる必要なんてどこにもなくって。私は私にしかなれないし、私は私にしか撮れない写真しか撮れない。私が私を信じなかったら、一体誰が私を信じてくれるんだろう。私を愛してくれるんだろう。私の作品を好きでいてくれるんだろう。

ずっと自分しか。自分しか信じられないって思ってたのに一番自分を信じてなかったのは私だった。そのことに気がついた。一番自分の写真に期待してなかったのは自分だった。

バカだったなあと思うよ。完璧でありたかったけどさ、完璧な私なんてきっと私じゃないんだろうなと思う。結局要領が悪くて、人より劣っていて、恥ばかりかいているのがきっと私という人間なのだろうな。私ぐらいは私を好きでいてあげないとなと思う。私ぐらいは、私の写真に期待して、喜んで、最高だ!って言ってあげたい。私は私を、もっと好きになりたい。


夜に音楽を聞いている。美しい音楽。私の撮りたい景色はなんだろう。私が私に見せたい景色はなんだろう。美しい景色を、一番に見せたいのは私だった。そして、一番に見たいのも、私だったんだ。
私は私に救われたかった。こんなにもわかりきったことに、気がつかなかった。でも、ほんの少し、欠けらだけでも気がつけた。そしたら世界は違って見えた。

もっと美しい世界が見たい。
私は私の写す写真が、景色が、好きです。
だからもっと好きになりたい。
そしたらこの世界のことも、もっと好きになれる気がする。


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先日改めて自分に期待して撮った写真。虚しい期待じゃなくて自分を受け入れられるように期待してみたら、好きな景色が撮れたよ。まだわからないし手探りで探しているけど、きっと正しい気がしてる。だからもっと頑張ってみたい、写真。

嫌だって思うから嫌なんだよね。微妙って思うから微妙なんだ。だから最高!って思うことにした。最高の写真。誰にも負けない一枚。早くそんな写真がみてみたい。

楽しそうに僕を見つめるんだ

 

久々にボーカロイドを聞いている。この曲がすごく好きなんだけど全然有名になってなくて悲しいっていうか、勿体無い。曲はもちろんだけどこのPVがすごく好きなんだよな。これを2011年に作っていたのは本当にすごいと思う。今でも全然通用するような。サビが爆発するみたいですごく好きだし、惹かれる。

 

 

 

中学生のとき本当に好きだったボカロPさんの曲だなあ、懐かしい。アイポッドに入れて聞いてた。夢のある歌詞とわかりやすい曲調が単純に素晴らしい。

 

 

 

高2の夏、写真部の合宿のバスの中で聞いてた。流れる景色と音楽。

 

 

 

今までもこれからもきっとずっと好きでいると思う。忘れたくても忘れられないような鮮烈な光のような。オカワリヲドーゾも好き。

 

 

昔聞いていた音楽を振り返ると昔の自分を思い出す。

 

 

はなから言葉なんてマジ曖昧な道具 0.1秒前後で移り変わる 感情伝えられるわけもなく

先日新潟に行った。

缶のコーラ、初めてこのデザインのバージョンのやつ見た。

写真を撮っていたがまだわからない。今まで撮ってきた写真じゃないものを撮ること。正しいとか正しくないとか多分全部考えているようなことは関係ないんだと思う。

もう自分を裏切りたくない。

もう頑張らない。頑張るとしんどいから。頑張ると結果が出ない時辛い。

思えば自分のために何かして来なかったのかもしれないなあとさっきの記事を書いて思った。周りの人たちは自分のために生きてるんだと思う。

私は私のために生きているだろうか?
出来ていないのなら私は私のために生きてみたい。

私は私を、好きになってみたい。

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知らない誰かを求め探す毎日

大変久々にブログを更新する。このブログの存在すら忘れている間に私は大学4年生になってしまった。

 

美しい世界が見たかった。自分の頭の中に存在する美しい景色を誰かに伝えたかった。それは確かにそうなんだけど、結局私は誰かに必要とされたいだけなのだと思う。

自分のことを考えれば考えるほど、誰にも必要とされない人間だなあとなんとなく思う。必要とされたことがない。私じゃないとダメだと思われたことがない。私の代わりなどいくらでもいるのだ。それがとてつもなく悲しくて虚しい。

昨日友達に考えすぎなんだと言われた。そうなんだと思う。わかってるんだけど、この陰鬱な考えを振り払うための確証がない。本当は私は必要とされている存在なのかな?なんて思えないから困っている。でも別に必要とされなくったって生きればいいんだと思う。そんなの関係ないんだと思う、生きることには。

昨日久々に人前で泣いた。友達は私の話を聞いてくれた。救われると信じていた、誰かに聞いてもらえるだけで。でも結果的にこの虚しさは消えなかった。むしろなぜか唐突に消えてなくなりたいと思った。人は一人だと皆言うけれどきっとそれは嘘なんでしょ。皆一人じゃないからいきていける。誰かがこの世界に繋ぎ止めてくれるから生きていけるんだよ。私にはそれがない。誰にも必要とされない。いなくなってもなんの支障もない。誰も本当の意味で悲しまない。誰も悼まない。そんな人間に、生きてる価値なんてあるのか?私はないと思う。誰にも必要とされない人間なんているだけ無駄じゃない?

もともとあまり幸福な人生を送って来なかった。だから考え方も他の人に比べてひねくれている。そのせいで人の善意が素直に受け取れないし、どうせ理解されていないと思ってしまう。アドバイスされてもお前に私の気持ちなどわからないとどこかで思っている。幸せな人生を送ってきた人間に私の気持ちなどわからない。

友達のことが好きだ。でも時折、とてつもなく憎い。私の持っていないものを持っているから。価値観が違いすぎる。頑張っても評価される人生を送ってきたことが、とてつもなく羨ましい。そりゃ努力するよね。頑張るよね。いつかは評価されるんだからさ。でも私は違うんだよ。どれだけ頑張ったって評価してくれる人がいない。評価されないなら頑張ったって全部無駄。見てくれる人がいないなら全部意味ない。

 

私は私自身に魅力がないことを思い知っている。私と言う人間はつまらなくて陰気で凡庸だ。だから写真を頑張っていた。写真を通して自分の居場所を作りたかった。写真が、私の居場所だった。でもそれすらも色褪せていくのなら、もうどうしたらいい?写真でさえ私の手元からすり抜けていく。崩れ落ちていく。私が必死に積み上げてきた全てが、消えていく。

自分の撮る写真が好きでした。愛していた。でも私は私を裏切り続けている。今の私は、写真が嫌いになりそうです。写真は私を救ってくれなかった。写真は私を見放した。写真の撮れない自分にはなんの意味もない。なんの価値もない。写真の撮れない私には、誰も声をかけてくれない。誰も必要としてくれない。人間としての魅力がないのだからしょうがない。不幸なのもしょうがない。誰かが持っているものを羨んでも仕方ない。

本当にそうなの?本当にそうならもう私はどうしたらいい?羨むことすら許されないのなら、私はどう生きればいい?前向きに生きれるほど、もう力が残ってない。沈んでいくだけ。

 

今の私には世界が静止して見える。私だけがこの世界に置いていかれている。美しい世界が好きでした。この目でみる景色が好きでした。でも、もうだめだわ、限界。生きることになんの喜びも見出せない。さっさと死にたい。そしてさっさといろんな人たちの記憶の中から消えてなくなりたい。全部なかったことにしてほしい。そんで来世は花になりたいな〜花になって綺麗に咲いてさっさと散りたい。

 

何も考えたくない。何も考えない。生きてるだけで楽しい人たちが、ただ、羨ましい。

静寂の中に埋もれる熱狂的な音楽

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先日撮った酒巻さんの写真と、その日の帰りの霧の写真を並べてみた。並び的には統一されてなくて気持ち悪いけれど、まあこれは日誌のようなものだからそれは気にしないこととする。ここは記録のようなものなのだ。おそらく。

雨のパレードというバンドの音楽を聴いている。あまり今までになかったような音楽で久々に強く惹きつけられている。歌詞が鮮明で美しい。音楽もだけど。
やはり音楽は偉大だ。写真も映像も、視覚的なものは何一つないのに、だからこそなのかな、聴いているだけでイメージが爆発みたいに浮かび上がる。頭の中で映像が流れ出す。勝手に。本当に音楽はすごい。音楽が無かったら私は何もできなかったと思う。写真も、詩も。

今月は、とても有り難いことに写真を撮る予定がたくさん出来た。月初の頃は本当に何も予定が無くて大丈夫かなと思っていたけれど、それが杞憂で終わってよかった。今月はたくさん初めての試みをする。ようやく一人で立てる準備が出来たように感じる。まだ、立ててはいないけれど。それでも写真を撮れるのは嬉しいし、幸せなのだと、思う。思えるように、なれたかな。

つい最近、漸く自分の写真のテーマを一年悩んで決めた。長い一年だった。苦しかったし、惨めだった。特に去年の夏は本当に苦しかった。写真なんてやめて大学もやめてどこか遠くへ行ってしまいたかったくらいには。周りの人間がみんな羨ましくて停滞している自分が恥ずかしくて仕方なかった。でも、やっと、テーマが決められた。私が本当に撮りたかったものを一年間自分に問いかけ続けた答えの片鱗。後はそれが撮れるかどうか。私は臆病だから、失敗した時に自分が傷つくことからはすぐに逃げてしまう癖がある。それを克服できるかな。逃げずに撮れるかな。失敗してもまた立ち上がれるかな。最近はそんなことばかり考えている。

でも、今月たくさん写真を撮る機会に恵まれている。だから、ちゃんとそれを実行してみたい。それから、被写体になってくれる人にちゃんと自分の思いを伝えること。私は自分の考えていることを他人に見せることが本当に苦手で(だって拒絶されるのが怖い)、今まで撮影でも100%自分がどう撮りたいか、どういった気持ちでこの撮影に臨んでいるのか伝えられたことがなかった。だから、これからは拒絶されるのも覚悟で自分の考えを被写体になってくれる人に伝えたい。これはワンマンプレーなのかもしれない。私は、被写体になってくれてる人たちの要望を何一つ聞かない。自分だけの、ために、写真を撮って、しまっている。でも、私は私のために、写真を撮りたい。だから私の中の世界で、撮る瞬間だけは生きてほしいと思っている。現実から隔離された私の頭の中の世界の中で。

これが本当の写真なのかな。写真といってしまっていいのかな。ただの自己満足に他人を巻き込んでいるだけなのかな。なんて思うけれど、今だけはそれを信じさせてほしい。だって私の頭の中の景色は、生きてる人たちは、こんなにも美しい。それを、誰かに見せてあげたい。そうやって、今まで自分が誰かの頭の中の世界を覗き込んで感動してきたように、感動させてあげたい。させてみたい。自分が味わった大きな波みたいな感動を知ってほしい。そんな風に、きっと、ずっと、思っていた。そうやって、写真を、撮っている。私は。

本当はこんな風に、思っていることを、明確な言葉にするのも、とても怖い。拒絶されるんじゃないかって思う。でもずっとこうやって逃げてたら何も変わらないのかもしれない。私は変わりたいと思っている。だから、書いている。

明日はちゃんと予定通りモノクロフィルム現像できるといい。早起きできるかな。


抱負

・出来れば写真の名義をもう一つ増やしたい。昔使っていた東野えまというペンネームも使いたい。なんでかというと気に入っているから。あと語呂が良い。個人的に。ちなみに東野はとうのと読む。
・日記を続ける。あと日記を消さない。
・小説を書きたい。
・詩を書くのを続ける。まあ続けると思うけど。これがないと多分わたしはマジで死ぬ。
・写真を撮ってる自分をすきになる。自分の撮ってる写真をもっと認めてやる。
・自分をすきになる。
・誰かに頼る(多分これが一番難しい)
・ほどほどに頑張る。
・優しい人間になる。
・写真をもっと大事にする。写真は承認欲求を満たすためのツールじゃないんだよ。
・口数を減らす。しゃべりすぎ。
・もっと色々考える。考えなさすぎ。
・とりあえず焦らない。何に対しても焦りすぎ。落ち着きがマジでない。
・何をするにも期待しない。
・周りを見る。
・とりあえず次はもっと明るい日記書く。写真についてとか。てかそういうブログにしていきたいんだよな。

ノーマルな夏

久しぶりにこちらで日記を書く。いい加減無数にある日記を整理したほうがいい気がしてきた。

バイトをはじめて早2ヶ月。わたしは成長できているのだろうか?カメラマンアシスタントの仕事は予想以上に大変で、予想以上に不親切だ。でも多分それが当たり前で常識で。バイトをはじめてわたしは自分がいかに甘ったれてたのかよくわかった。3ヶ月で見極めがあるらしいけど生き残れる気がしない。スタジオマンが凄すぎて本当に嫌になっちゃうなあ。仕事は身体で覚えろスタンスだからわたしはうまく仕事が覚えられない。このバイトを通してわたしはきちんとした説明を経由しないとうまく頭が働かないのだと知った。良くも悪くもわたしは融通の利かぬ人間だ。
まああと一ヶ月でクビになるとしてもいい経験にはなったなと思う。こんなのはなかなか経験できるものではない。大変だしつらいけど、その分勉強にはなった。例えばライティング。未だにカメラマンのライティングの凄さに圧倒される。どこを動かしたらここに光が来ると感覚的に理解しているのが本当にヤバい。プロの名は伊達ではないと思った。

アシスタントの仕事を通して、わたしは写真がわからなくなった。プロの仕事はあまりに迅速で美しい。それに仕事の写真には必ず編集者やデザイナーがいる。撮る写真の基盤を考えているのは彼らだ。カメラマンの撮る写真は作品ではない。わかっていたつもりだったが、予想以上に多くの人間が商業写真に携わっていることを改めて知らされていた。現場では、みんなで写真を作る。みんなが必死だ。どうしたら商品の良さを伝えられるか?素材感を出せるか?アピールしたいところをきちんとアピールできているか。写真を本業としない人たちが臆せずにカメラマンに意見する。カメラマンはそれを聞いて対応する。
確かに写真を撮るのはカメラマンだ。しかし、そこには必ずチームプレイがあった。わたしはきっとこのバイトをしなければ一生それに気づけなかったかもしれない。

わたしはずっと作品として写真を撮ってきたし、多分それはこれからも変わらない気がする。わたしは自分がカメラマンとしてバリバリ決められた時間で、構図で、写真を撮っている姿が想像できないからだ。
ファッション系の写真の現場に携わったことがないから厳密にはわからないが、ファッション誌の写真のように、カメラマン自身の個性を必要とされる仕事ならまだ出来る気がするし、前からやりたいと思っていた。
しかし、このバイトを経て、物撮りをするカメラマンの姿をみて、すごいなという尊敬と、えり好みしてはいけないなという気持ちと、苦手な物を極力無くさないといけないなという課題を見つけた。なんかもう、あと一ヶ月でクビになるとしても結構勉強になったしいいかなという感じだ。諦めんなよって感じもするが。まあ人生諦めが肝心だ。
わたし個人、本当に自分にはアシストの才能がないと思うので早々に諦めている。あと一ヶ月、もう少し現場で余裕を持てるようになれればいいなというのが今後の大きな課題である。

夜中に文章を書くと本当に支離滅裂で逆に関心する。推敲もせずそのまま載せてしまえ。
明日、というか今日ははるかと撮影。この一ヶ月、ずっと人間不信で自分の作品についてもわからなくなり本当に錯乱状態だった。正直、今でも自分の作品がどうなのか、どうなっていくのかはてんで検討がつかない。しかし撮るしかない。というより、撮らないと切実に課題がヤバい。以上です。