散らすナチュラル

確実な安心をお約束

ノーマルな夏

久しぶりにこちらで日記を書く。いい加減無数にある日記を整理したほうがいい気がしてきた。

バイトをはじめて早2ヶ月。わたしは成長できているのだろうか?カメラマンアシスタントの仕事は予想以上に大変で、予想以上に不親切だ。でも多分それが当たり前で常識で。バイトをはじめてわたしは自分がいかに甘ったれてたのかよくわかった。3ヶ月で見極めがあるらしいけど生き残れる気がしない。スタジオマンが凄すぎて本当に嫌になっちゃうなあ。仕事は身体で覚えろスタンスだからわたしはうまく仕事が覚えられない。このバイトを通してわたしはきちんとした説明を経由しないとうまく頭が働かないのだと知った。良くも悪くもわたしは融通の利かぬ人間だ。
まああと一ヶ月でクビになるとしてもいい経験にはなったなと思う。こんなのはなかなか経験できるものではない。大変だしつらいけど、その分勉強にはなった。例えばライティング。未だにカメラマンのライティングの凄さに圧倒される。どこを動かしたらここに光が来ると感覚的に理解しているのが本当にヤバい。プロの名は伊達ではないと思った。

アシスタントの仕事を通して、わたしは写真がわからなくなった。プロの仕事はあまりに迅速で美しい。それに仕事の写真には必ず編集者やデザイナーがいる。撮る写真の基盤を考えているのは彼らだ。カメラマンの撮る写真は作品ではない。わかっていたつもりだったが、予想以上に多くの人間が商業写真に携わっていることを改めて知らされていた。現場では、みんなで写真を作る。みんなが必死だ。どうしたら商品の良さを伝えられるか?素材感を出せるか?アピールしたいところをきちんとアピールできているか。写真を本業としない人たちが臆せずにカメラマンに意見する。カメラマンはそれを聞いて対応する。
確かに写真を撮るのはカメラマンだ。しかし、そこには必ずチームプレイがあった。わたしはきっとこのバイトをしなければ一生それに気づけなかったかもしれない。

わたしはずっと作品として写真を撮ってきたし、多分それはこれからも変わらない気がする。わたしは自分がカメラマンとしてバリバリ決められた時間で、構図で、写真を撮っている姿が想像できないからだ。
ファッション系の写真の現場に携わったことがないから厳密にはわからないが、ファッション誌の写真のように、カメラマン自身の個性を必要とされる仕事ならまだ出来る気がするし、前からやりたいと思っていた。
しかし、このバイトを経て、物撮りをするカメラマンの姿をみて、すごいなという尊敬と、えり好みしてはいけないなという気持ちと、苦手な物を極力無くさないといけないなという課題を見つけた。なんかもう、あと一ヶ月でクビになるとしても結構勉強になったしいいかなという感じだ。諦めんなよって感じもするが。まあ人生諦めが肝心だ。
わたし個人、本当に自分にはアシストの才能がないと思うので早々に諦めている。あと一ヶ月、もう少し現場で余裕を持てるようになれればいいなというのが今後の大きな課題である。

夜中に文章を書くと本当に支離滅裂で逆に関心する。推敲もせずそのまま載せてしまえ。
明日、というか今日ははるかと撮影。この一ヶ月、ずっと人間不信で自分の作品についてもわからなくなり本当に錯乱状態だった。正直、今でも自分の作品がどうなのか、どうなっていくのかはてんで検討がつかない。しかし撮るしかない。というより、撮らないと切実に課題がヤバい。以上です。