散らすナチュラル

確実な安心をお約束

静寂の中に埋もれる熱狂的な音楽

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先日撮った酒巻さんの写真と、その日の帰りの霧の写真を並べてみた。並び的には統一されてなくて気持ち悪いけれど、まあこれは日誌のようなものだからそれは気にしないこととする。ここは記録のようなものなのだ。おそらく。

雨のパレードというバンドの音楽を聴いている。あまり今までになかったような音楽で久々に強く惹きつけられている。歌詞が鮮明で美しい。音楽もだけど。
やはり音楽は偉大だ。写真も映像も、視覚的なものは何一つないのに、だからこそなのかな、聴いているだけでイメージが爆発みたいに浮かび上がる。頭の中で映像が流れ出す。勝手に。本当に音楽はすごい。音楽が無かったら私は何もできなかったと思う。写真も、詩も。

今月は、とても有り難いことに写真を撮る予定がたくさん出来た。月初の頃は本当に何も予定が無くて大丈夫かなと思っていたけれど、それが杞憂で終わってよかった。今月はたくさん初めての試みをする。ようやく一人で立てる準備が出来たように感じる。まだ、立ててはいないけれど。それでも写真を撮れるのは嬉しいし、幸せなのだと、思う。思えるように、なれたかな。

つい最近、漸く自分の写真のテーマを一年悩んで決めた。長い一年だった。苦しかったし、惨めだった。特に去年の夏は本当に苦しかった。写真なんてやめて大学もやめてどこか遠くへ行ってしまいたかったくらいには。周りの人間がみんな羨ましくて停滞している自分が恥ずかしくて仕方なかった。でも、やっと、テーマが決められた。私が本当に撮りたかったものを一年間自分に問いかけ続けた答えの片鱗。後はそれが撮れるかどうか。私は臆病だから、失敗した時に自分が傷つくことからはすぐに逃げてしまう癖がある。それを克服できるかな。逃げずに撮れるかな。失敗してもまた立ち上がれるかな。最近はそんなことばかり考えている。

でも、今月たくさん写真を撮る機会に恵まれている。だから、ちゃんとそれを実行してみたい。それから、被写体になってくれる人にちゃんと自分の思いを伝えること。私は自分の考えていることを他人に見せることが本当に苦手で(だって拒絶されるのが怖い)、今まで撮影でも100%自分がどう撮りたいか、どういった気持ちでこの撮影に臨んでいるのか伝えられたことがなかった。だから、これからは拒絶されるのも覚悟で自分の考えを被写体になってくれる人に伝えたい。これはワンマンプレーなのかもしれない。私は、被写体になってくれてる人たちの要望を何一つ聞かない。自分だけの、ために、写真を撮って、しまっている。でも、私は私のために、写真を撮りたい。だから私の中の世界で、撮る瞬間だけは生きてほしいと思っている。現実から隔離された私の頭の中の世界の中で。

これが本当の写真なのかな。写真といってしまっていいのかな。ただの自己満足に他人を巻き込んでいるだけなのかな。なんて思うけれど、今だけはそれを信じさせてほしい。だって私の頭の中の景色は、生きてる人たちは、こんなにも美しい。それを、誰かに見せてあげたい。そうやって、今まで自分が誰かの頭の中の世界を覗き込んで感動してきたように、感動させてあげたい。させてみたい。自分が味わった大きな波みたいな感動を知ってほしい。そんな風に、きっと、ずっと、思っていた。そうやって、写真を、撮っている。私は。

本当はこんな風に、思っていることを、明確な言葉にするのも、とても怖い。拒絶されるんじゃないかって思う。でもずっとこうやって逃げてたら何も変わらないのかもしれない。私は変わりたいと思っている。だから、書いている。

明日はちゃんと予定通りモノクロフィルム現像できるといい。早起きできるかな。