散らすナチュラル

確実な安心をお約束

知らない誰かを求め探す毎日

大変久々にブログを更新する。このブログの存在すら忘れている間に私は大学4年生になってしまった。

 

美しい世界が見たかった。自分の頭の中に存在する美しい景色を誰かに伝えたかった。それは確かにそうなんだけど、結局私は誰かに必要とされたいだけなのだと思う。

自分のことを考えれば考えるほど、誰にも必要とされない人間だなあとなんとなく思う。必要とされたことがない。私じゃないとダメだと思われたことがない。私の代わりなどいくらでもいるのだ。それがとてつもなく悲しくて虚しい。

昨日友達に考えすぎなんだと言われた。そうなんだと思う。わかってるんだけど、この陰鬱な考えを振り払うための確証がない。本当は私は必要とされている存在なのかな?なんて思えないから困っている。でも別に必要とされなくったって生きればいいんだと思う。そんなの関係ないんだと思う、生きることには。

昨日久々に人前で泣いた。友達は私の話を聞いてくれた。救われると信じていた、誰かに聞いてもらえるだけで。でも結果的にこの虚しさは消えなかった。むしろなぜか唐突に消えてなくなりたいと思った。人は一人だと皆言うけれどきっとそれは嘘なんでしょ。皆一人じゃないからいきていける。誰かがこの世界に繋ぎ止めてくれるから生きていけるんだよ。私にはそれがない。誰にも必要とされない。いなくなってもなんの支障もない。誰も本当の意味で悲しまない。誰も悼まない。そんな人間に、生きてる価値なんてあるのか?私はないと思う。誰にも必要とされない人間なんているだけ無駄じゃない?

もともとあまり幸福な人生を送って来なかった。だから考え方も他の人に比べてひねくれている。そのせいで人の善意が素直に受け取れないし、どうせ理解されていないと思ってしまう。アドバイスされてもお前に私の気持ちなどわからないとどこかで思っている。幸せな人生を送ってきた人間に私の気持ちなどわからない。

友達のことが好きだ。でも時折、とてつもなく憎い。私の持っていないものを持っているから。価値観が違いすぎる。頑張っても評価される人生を送ってきたことが、とてつもなく羨ましい。そりゃ努力するよね。頑張るよね。いつかは評価されるんだからさ。でも私は違うんだよ。どれだけ頑張ったって評価してくれる人がいない。評価されないなら頑張ったって全部無駄。見てくれる人がいないなら全部意味ない。

 

私は私自身に魅力がないことを思い知っている。私と言う人間はつまらなくて陰気で凡庸だ。だから写真を頑張っていた。写真を通して自分の居場所を作りたかった。写真が、私の居場所だった。でもそれすらも色褪せていくのなら、もうどうしたらいい?写真でさえ私の手元からすり抜けていく。崩れ落ちていく。私が必死に積み上げてきた全てが、消えていく。

自分の撮る写真が好きでした。愛していた。でも私は私を裏切り続けている。今の私は、写真が嫌いになりそうです。写真は私を救ってくれなかった。写真は私を見放した。写真の撮れない自分にはなんの意味もない。なんの価値もない。写真の撮れない私には、誰も声をかけてくれない。誰も必要としてくれない。人間としての魅力がないのだからしょうがない。不幸なのもしょうがない。誰かが持っているものを羨んでも仕方ない。

本当にそうなの?本当にそうならもう私はどうしたらいい?羨むことすら許されないのなら、私はどう生きればいい?前向きに生きれるほど、もう力が残ってない。沈んでいくだけ。

 

今の私には世界が静止して見える。私だけがこの世界に置いていかれている。美しい世界が好きでした。この目でみる景色が好きでした。でも、もうだめだわ、限界。生きることになんの喜びも見出せない。さっさと死にたい。そしてさっさといろんな人たちの記憶の中から消えてなくなりたい。全部なかったことにしてほしい。そんで来世は花になりたいな〜花になって綺麗に咲いてさっさと散りたい。

 

何も考えたくない。何も考えない。生きてるだけで楽しい人たちが、ただ、羨ましい。