散らすナチュラル

確実な安心をお約束

またねむれない夜になっていく

 

今聞いている。良い曲。久々に脳に突き刺さる感じがした。
歌詞もいいし動画も良かった。歌ってる人はこの人の声が一番響いた。

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写真を見返す日々が続いていた。そんな中で少しだけデザインをしていた。デザインをするのは楽しい。以前感じていた限界についても知っている。でもなんか今、本当に生きる気力がなくてそんなつまらない限界のことすら気にならない。燃え尽き症候群みたいなのがずっと続いてる。ここ半年くらい。

自分のことを手放したい。そう思っていたからそれが少しずつできるようになってきたのかもしれない。でも思ったようには手放せない。理想の人間みたいには、簡単にはなれないみたいだ。

やりたいことがない。だから生きる指針を失ったまま生きている。やれることは中途半端にある。でも全部どれも中途半端すぎて、仕事にできるかわからない。そんなことに悩んでいる時点で、私は自分を手放せていないんだろう。自分なんてどうでもよくなれば、生きるのが怖い自分さえもどうだってよくなる。そのはずだ。そのはずだろう。

写真に飽きている。だからもう写真のことも見限ろうかと思っていた。私はどの分野もある程度できるようになってそれ以上上に行けなくなったら全部見限ってきた。諦めてきた。退屈なんだ。驚きがなくなる。達成感が感じられなくなる。あのできなかったものができるようになった高揚感が、また、欲しい。あの、どうしようもなく生きてるんだって、アドレナリンがドバドバ出る感じを、また味わいたい。

生きることは暇つぶしだって誰かが言ってた。有名人だったか、はたまたタンブラーのリブログか。忘れたけど本当にその通りだと思う。でも暇をただつぶすんじゃなくて、やるならもっと生を実感していたい。ただの暇つぶしは退屈で死ぬ。心が。ここ数ヶ月はただの暇つぶしみたいな日々だった気がする。もちろん、友達に会ったりする日は別だけれど、そのぶん一人になったら途端に退屈になる。このまま消えて無くなりたいくらい。

私は誰からも必要とされていない人間だ。それはわかっているからこそ、躊躇わずに消えることができるだろう。私は誰かの特別になりたかった。そのために色々努力してきたつもりだけど、全部空振りに終わった。結局私は誰かの一番にはなれないのだ。それがとてつもなく虚しい。でも、生きることがつらいなと思い始めてから、それはどうしようもないことなのかもしれないなと思った。うまく言葉にできないのだけれど、そんなものなのかもしれない。誰かの特別になったり一番になることなんて、本当の意味では不可能なのかも。多分みんなそれを受け入れて生きているのに、私だけが気づくのが遅すぎて、うまく生きられないのかもしれない。

私はこれからどんな選択をして、どんな風に生きていくのかな。ある程度予想がついていた未来が、今は全く見えないから、本当にわからない。案外あっけなく死んでるかもしれないし、逆に同じように苦しみながら生きていくのかもしれない。先日友達と話していて、どんな選択をしていてもいずれ苦しむし後悔するよと言われた。本当にその通りだと思う。私は、幸福になるためのリスクを払うのさえ怖いんだろう。何もせず、ヒーローみたいな人に、ただ救われるのを、待っているんだ。そんな馬鹿馬鹿しいことをわかっているのにやめられなくて。でもやっぱり馬鹿馬鹿しいことだよなって思うよ。

生きることがこんなにも大変だとは。でもそのことに気づけて良かったと思う自分もいる。それが、少し不思議で、でもそう思えた自分にホッとしてる。

いつか生きてて良かった、私はこのために生きてきたんだって思えるようなものや人に出会えるのかな。ものに関しては、もう写真とか文章とか、出会ってるのかもしれないけど、心の底からそう思える日が来るかな。来るといいな。