散らすナチュラル

確実な安心をお約束

抱負

・出来れば写真の名義をもう一つ増やしたい。昔使っていた東野えまというペンネームも使いたい。なんでかというと気に入っているから。あと語呂が良い。個人的に。ちなみに東野はとうのと読む。
・日記を続ける。あと日記を消さない。
・小説を書きたい。
・詩を書くのを続ける。まあ続けると思うけど。これがないと多分わたしはマジで死ぬ。
・写真を撮ってる自分をすきになる。自分の撮ってる写真をもっと認めてやる。
・自分をすきになる。
・誰かに頼る(多分これが一番難しい)
・ほどほどに頑張る。
・優しい人間になる。
・写真をもっと大事にする。写真は承認欲求を満たすためのツールじゃないんだよ。
・口数を減らす。しゃべりすぎ。
・もっと色々考える。考えなさすぎ。
・とりあえず焦らない。何に対しても焦りすぎ。落ち着きがマジでない。
・何をするにも期待しない。
・周りを見る。
・とりあえず次はもっと明るい日記書く。写真についてとか。てかそういうブログにしていきたいんだよな。

ノーマルな夏

久しぶりにこちらで日記を書く。いい加減無数にある日記を整理したほうがいい気がしてきた。

バイトをはじめて早2ヶ月。わたしは成長できているのだろうか?カメラマンアシスタントの仕事は予想以上に大変で、予想以上に不親切だ。でも多分それが当たり前で常識で。バイトをはじめてわたしは自分がいかに甘ったれてたのかよくわかった。3ヶ月で見極めがあるらしいけど生き残れる気がしない。スタジオマンが凄すぎて本当に嫌になっちゃうなあ。仕事は身体で覚えろスタンスだからわたしはうまく仕事が覚えられない。このバイトを通してわたしはきちんとした説明を経由しないとうまく頭が働かないのだと知った。良くも悪くもわたしは融通の利かぬ人間だ。
まああと一ヶ月でクビになるとしてもいい経験にはなったなと思う。こんなのはなかなか経験できるものではない。大変だしつらいけど、その分勉強にはなった。例えばライティング。未だにカメラマンのライティングの凄さに圧倒される。どこを動かしたらここに光が来ると感覚的に理解しているのが本当にヤバい。プロの名は伊達ではないと思った。

アシスタントの仕事を通して、わたしは写真がわからなくなった。プロの仕事はあまりに迅速で美しい。それに仕事の写真には必ず編集者やデザイナーがいる。撮る写真の基盤を考えているのは彼らだ。カメラマンの撮る写真は作品ではない。わかっていたつもりだったが、予想以上に多くの人間が商業写真に携わっていることを改めて知らされていた。現場では、みんなで写真を作る。みんなが必死だ。どうしたら商品の良さを伝えられるか?素材感を出せるか?アピールしたいところをきちんとアピールできているか。写真を本業としない人たちが臆せずにカメラマンに意見する。カメラマンはそれを聞いて対応する。
確かに写真を撮るのはカメラマンだ。しかし、そこには必ずチームプレイがあった。わたしはきっとこのバイトをしなければ一生それに気づけなかったかもしれない。

わたしはずっと作品として写真を撮ってきたし、多分それはこれからも変わらない気がする。わたしは自分がカメラマンとしてバリバリ決められた時間で、構図で、写真を撮っている姿が想像できないからだ。
ファッション系の写真の現場に携わったことがないから厳密にはわからないが、ファッション誌の写真のように、カメラマン自身の個性を必要とされる仕事ならまだ出来る気がするし、前からやりたいと思っていた。
しかし、このバイトを経て、物撮りをするカメラマンの姿をみて、すごいなという尊敬と、えり好みしてはいけないなという気持ちと、苦手な物を極力無くさないといけないなという課題を見つけた。なんかもう、あと一ヶ月でクビになるとしても結構勉強になったしいいかなという感じだ。諦めんなよって感じもするが。まあ人生諦めが肝心だ。
わたし個人、本当に自分にはアシストの才能がないと思うので早々に諦めている。あと一ヶ月、もう少し現場で余裕を持てるようになれればいいなというのが今後の大きな課題である。

夜中に文章を書くと本当に支離滅裂で逆に関心する。推敲もせずそのまま載せてしまえ。
明日、というか今日ははるかと撮影。この一ヶ月、ずっと人間不信で自分の作品についてもわからなくなり本当に錯乱状態だった。正直、今でも自分の作品がどうなのか、どうなっていくのかはてんで検討がつかない。しかし撮るしかない。というより、撮らないと切実に課題がヤバい。以上です。

こうして自分の一番嫌いなものになっていってるんだ

今日かなしいことがあって、自分の一番したくないことをした。私は人一倍承認欲求が強い故に、自己主張するのが嫌いだ。認めてほしいし褒めてもらいたいけど、自分からそう言うのは癪だから人から褒めてほしいと思う人間。我侭すぎるし何様だよって感じ。

 人から必要とされることがたぶん私の生きるすべてだ。必要とされなくなったら私は死ぬのだろうか。私は私が没個性のつまらない人間だということだけはちゃんと知っている。だから、没個性だって分かってるから怖い。没個性って、好きとか嫌いじゃないんだよ。忘れられちゃうんだ。きっと私の事なんてみんなすぐに忘れちゃって、インスタとかツイッターとかフェイスブックには私だけが写ってない写真で溢れてしまう。そんでそのうち私の存在自体もみんなの頭の中から消え失せて、LINEの連絡先の下の方に埋もれていつか消える。卒アル見返した時だけ、あ〜こんなやついたかも。なんてね。

人生はあまりに不平等だ。没個性の人間には生きづらい。あまりにも。没個性の人間はどうやったら人々の記憶に居続けることが出来るのだろう。

深夜バス待合所は殺伐とした空気

これから京都へ行くために新宿から深夜バスに乗る。今は待合所にいるんだけど殺伐とした空気しかない。みんなどこへ行くんだろう。女性専用車らしいけどどんなのかは想像もつかない。ギリギリに予約したから通路側の席。外からの景色見たかったけどしょうがないよね。なんか色々なアメニティがついてるらしくてスゲーって感じ。寝れるといいけど果たしてどうなるのかな。

1人は寂しいけど、結局私は自己中だから1人の方が楽なんだろうなと思うけどやっぱり寂しいや。運命的な出会いでもしたいよね。まあこんなのそれこそ夢物語のようなものだけどさ。そろそろバスに乗る時間だ。バスの中では夢は見るだろうか。もうすぐ11時。

見透かす4月末

何個目かのブログ開設。ブログ作るの大好き人間だからしょうがない。

 

明日から単独京都だけど行くところなんて全然決めてない。もうすぐ大学に入って早一ヶ月。なんとか友達も出来たしとりあえずクソ朝早い通学電車にも慣れた、ような気がする。何も出来ないまま大学生になった。授業にはついていけるだろうかなんて愚かな考え。ついてけなくてもついてくしかないんだ。お金が無さ過ぎて、でも欲しいものは増えていくという負のループから抜けられない。こんなことならやっぱもうちょい就活頑張るべきだったのかもなんて思うけどそんなの都合良すぎる。なんだか写真からもう逃れられないところまで来てしまった。もう趣味なんて言えないよ。

 

早く形にしたい。いろいろなものを。早くなにか作りたい。こういう時デザインかじってて助かったなあなんて思う。高専の5年間はたぶん無駄じゃなかった。有意義に過ごせたかは分からないけど。大学は自由すぎて不安になるなあ。もっと自主制作したい。写真撮らなきゃ。でも頭を使わないと。ただ闇雲に撮るだけじゃ駄目だってことは高専の5年間で死ぬ程学んだ。闇雲に撮っただけの写真に良さなんて無い。私が撮りたい強い写真にはならない。強い写真を撮りたい。見た人が息を飲むような写真。綺麗なだけじゃ駄目だ。綺麗なものなんてそこら中に溢れてるから。

 

昨日友人としづさんのMV集見てたけどしづさん天才過ぎて本当に尊敬するしマジで大ファンだよ。あんな風に人の視線を釘付けにする強い作品が作りたい。そう思って止まない四月末。GW一日目の午後。