散らすナチュラル

確実な安心をお約束

逆風かき分けて

死にて〜と思っていた頃から色々あった。ルームシェアは解散になり、実家に戻った。実家は案外楽しく、ルームシェアの時より落ち着いている可能性もある。不思議な気分だ。他人と暮らすのは、友達とでも難し買ったのかもしれんと思った。限界が先に来たのが元同居人だった話なのだろう。

 

好きの境界線がわからなくなった。何が恋愛で何が友情か?なので、確かめることにした。以前書いた好きな人に会うことにしたのだ。現在進行系。今から会いに行く。絶賛遅刻中だが(バスが遅延した)

 

好きな人には、去年の夏くらいに結局告白した。が、それきり会っていない。コロナもあったし、向こうも忙しかった。私も忙しかった…。返事いりません!!!とか言ったし向こうがどう思ってるのかはわからないし、聞ける機会があるのかも謎。まあでもそれでもいいかなと。ただ、また一年ぶりくらいにあってあ〜好きだわと自分がなるのか知りたい。

 

会ってなさすぎるし、そもそもあんまり向こうのことをすごい知ってるわけでもないから、私が勝手に理想を貼り付けた姿を好きになっているだけなのでは?と思っている。今日も何故会ってくれるのか分からんが、まじでどう思っているのか?写真を撮られることに対しても興味なさそうだしな〜。すべてが謎である。そもそも彼は人を好きになったりするのか?純粋な疑問。いろんな人間は彼に惹かれるのだろうが、如何せん気難しいからどれだけが生き残るのか知りたい。でも、大人になったし昔とは変わっただろうから大分とっつきやすくなったのだろうか?それすら謎。こう書き出すと、私は彼のことを全然知らない。昔の姿は少し知っているが、それだけだ。なんだかすごい痛いやつだな。反省。

 

今日、どんな撮影になるのか予想もできない。ただ、海岸を歩く彼がどのように写るかは楽しみだ。思ったより、心はフラットだな。会ったら緊張するだろうが、昔の自分は電車に乗っている時点で死ぬほど緊張していた。電車に乗りながら帰りたかった。ウケる。今も似たようなものか。

 

今日一日どんなふうになるのだろうね。

分からんけど、まあ楽しくいられれば良いなと思う。

 

君じゃないとさ

生きてきた中で、一番死を身近に感じている。

 

死ぬなら、首つりだろうか。少しでも痛くない死に方が良い。この前買ったばかりのユニクロの黒のベルト。縄はそれでいいだろう。ただ、今の家には首を吊れそうな場所がない。失敗すると辛いから、失敗しない場所を作るか、別の場所を探すしかない。って思ったけど、押し入れの中にあったな。ベルトをかけられそうな場所。ただ、耐久性があるのかやっぱり分からないから、もし本当にやるなら耐久性を調べないといけない。

 

でも、なんだが家で死ぬのも味気がない。やはり崖とかに行って死ぬべきか。海に飛び込むのが一番エコだよな。死体は海に還るし、葬式代もかからない。事故物件を作らなくても済む。スマートな死に方。たぶん。

 

なんでこんなふうに考えるのか、自分でも分からないのだ。生きる意味とはなんだ?生きる喜びとは?何故か急速に見失った。いや、元々そんなもの持ち合わせてなかったのかもしれない。それに気づかなければ、生きていけたのに。

 

生きる喜び。生きる意味。生きる理由。自分の存在理由。私は、一生誰からも必要とされない人間だ。生きてても死んでても、この世界にはなんの影響も与えない。悲しんでくれる人も、きっと3日も経てば忘れるだろう。でも、死とはそういうものだ。いなくなって、そして忘れられていくのだ。

 

誰かの特別になってみたかった。あなたが居ないと生きていけないと、そんなふうに言われてみたかった。でも、そんな人は存在しなかった。私は世界で一人きり。誰も居ない。だから孤独なのだ。だから、生きる理由を見出だせない。

 

合理的な人生を追い求めるのなら、多分手っ取り早く死ぬのが良い。なにをするにもコストがかかる。なんて言いつつ、面倒なだけだ。私は、価値のない人間。中身がない。空っぽだ。人の魅力とか、そういうものから一番遠い場所にいる。空っぽなんだから魅力もなにもない。

 

一生こうやって生きるのか、と思うと単純に疲れてしまった。もう、何も考えたくない。

 

自分という存在が消えたら、私は何処へゆくのだろう。私は、何者なんだろう。それを知るのも怖いけれど。

 

生きることがうまくできない。

ギターの音だけが、頭の中で反芻する。

世界が急速に遠のく。

今も私はここで一人きりで。

なにひとつ同じじゃないぼくら

今の会社に入って来月で一年らしい。時が経つのは恐ろしいほど早い。この一年、マジでいろんなことがあった。実家は出たし心療内科には通うし不眠症は悪化するし先輩と仲良くなったかと思えばもう全然仲良くないしすべてがマジで謎。

 

写真は辛うじて続けている。一瞬写真のことを忘れるんじゃないかと思ったけど、結局忘れなかったね。大学生の頃より肩の力が抜けて今の写真すごく好きだ。でも、あ〜来るとこまで来ちゃったなって感じなんだよね。そりゃこんだけやってればうまく撮れるよねっていうか。また壁だ。どれだけ上手くなっても壁にぶち当たる。でも壁にぶち当たらなくなったら私の写真はそこで終わってしまうのでそれでいいのだけれど。ただやはりつらいものはつらい。でも、前よりもずっと自分のために写真が撮れるようになって単純にすごく幸せなんだよね。自分以外大事にしないことがここまで楽だとは。

 

我慢ってマジで必要ないなって思うわ。我慢して何になるわけ?ムカつくことに大事な人生使いたくない。最近はなんかずっとこんな感じ。余分なものをカットするというか。 

 

仕事はなんとか続いててよかったな〜と思った。前の職場のムカつくチーフに辞めグセつかないといいなとか言われていたらしいのがずっと引っかかっていたけど、呪いもとけたかんじする。呪いって思ってたの私だけだろうけど。デザインを仕事にして正解だったわ。向いてるか向いてないかは分かんないけど前よりは幾分かはやりやすい。続くかどうかは謎だがまあ続けばいいなと思う。ただまじで頭脳労働だし気は使うし前より数倍色々とキツイわまじで。早くフリーランスとかになりたい。

 

は〜〜〜〜なんかすげえ疲れた。疲れたな〜と思ったので久々にブログを更新した。給料あがんね〜かなマジで

weekend

新卒で入った会社を辞めて、一ヶ月が経ったと同時に新しい仕事先が決まった。自分でも良く決まったなあと思う。辞めた時は、正直この先自分はどうなってしまうんだろうと思っていたけど、頑張ったら頑張った分の結果が返ってきたように、今は思うよ。

頑張り方を工夫した点が、自分的には偉かったと思う。自分だけで突っ走るのではなく、人を頼ること。全部任せきりにするんじゃなくて、自分には手に負えない部分を助けてもらうこと。自分なりに、下手くそだったかもしれないけど、そんな風に動けて本当に良かった。でも、なんだか今でも夢みたいで不思議。自分的には、職務内容と休みがちゃんとあるかしか気にしてなかったけど、結果的に前職より給料も上がったし職場も家から近づいた。欲張らない方が、私の場合は結果が付いてくる気がした。

 

今までずっと自分は不幸だと思ってたし、幸せになりたいと思っているだけだった。生きているのが辛かった。でも、なんだか前より大人になって、そんな生き方損しかないなと思ったんだ。悪いことに目を向けるのではなく、良いことに目を向けること。当たり前のことなのかもしれないけど、今まで全然それが出来ていなかった。
転職活動をしていて、一番自分で意外に思ったことがある。よく笑っているよねと言われたこと。自分では全然意識していなかったけど、私はよく笑っているらしい。それを聞いて、私は少しずつ変われてきているんだと思えた。なんというか、言語化するのが難しいのだけど、人を許せるようになれたのかもしれない。私はずっと許されたいと思って生きていたけど、一番許せていなかったのは私だったんだろう。灯台下暗しとはこのことだろう。今思い返すと笑ってしまうけど、気づけて良かったよ。

私は不幸なんかじゃなくて、ラッキーだったんだと思う。ツいているし、何より人に優しくされて生きてきたのだと思う。今回の転職活動はまさしくこの言葉に尽きた。
前の会社をやめる直前にとあるエージェントサービスに登録したんだけど、ここに拾ってもらえなかったら今の私はいない。当時は本当、藁にもすがる気持ちで登録したのを覚えてる。ここ以外には2つ登録すら断られていたから。職歴が浅すぎて職を紹介できないって。まあそうだよねって思ってたけど、不安は不安だった。でも、ここが拾ってくれたから新しい仕事に出会えた。初めはどうなるかと思ってたけど、エージェントのお姉さんがすごく良くしてくれて、いろんな書類を送ってくれたり、志望動機の添削してくれたり、もうとにかく本当にお世話になりまくった。エージェントが付いてくれるだけでこんなにも安心できるんだなあと思った。
それから、自力で見つけた東京しごとセンター。ここも本当に行けて良かった。ここのセミナーは本当に役に立ったし、何より採用担当者側の意見が聞けたのは本当に大きかった。カウンセラーの方にもすごく良くしてもらって、本当に心強かった。
私は転職活動を行う上で、絶対に相談できる場所がほしかった。顔を合わせて相談できる場所。それがしごとセンターだった。大体週一で通っていたけど、それが丁度良かった。セミナーにも参加できたのは本当に良かった。そこで他の転職活動中の人と意見交換して、すごく刺激をもらった。やっぱり自分は一人じゃないって思えると、不安が和らいだ。

私自身、こんなにも早く転職先が決まると思っていなかった。物事は、進むときはどんどん進むんだなあ。親に、チャンスを逃すなと言われていたのでそれを強く意識して動いていた。チャンスの神様は前髪しかない、ならその前髪を引きちぎる勢いで行こうと思って動いていたから。笑


今、改めて思う。前の会社を辞めて本当に良かった。思い返すとやっぱりあの職場は異常だった。少なくとも私にとっては。あんなに精神的に無理をしないといけない職場にい続けたら絶対ダメになってた。ダメになる前に辞めて良かった。いろんな友達に後押ししてもらって良かった。なんというか、生きてて本当に良かった!!

 

変な話だけどすごく十月が楽しみな気持ちがある。仕事内容については、もちろん不安もあるけど、どう貢献できるかなと考えるとワクワクする。かなり寄り道をしたけど、デザインの仕事に就けて嬉しい。バリバリのクリエイティブじゃないけど、人の役に立つデザインができるから、私はとても次の会社が気に入っている。本当、入れて良かった!拾ってもらえて良かった!代表の人も職場の人もすごくいい人そうで個人的にはめちゃくちゃ嬉しい!今はとにかくがんばろ〜〜〜〜〜って気持ち。拾ってもらったからには、期待以上に頑張って成果を出してやろうと思ってる。

 

自分でいうか?って感じだけど、本当、自分お疲れ様!
生きてて良かったなあ。これからも頑張って生きような、という気持ち。
ほどほどに頑張ってほどほどに休むぞ!笑

 

普通の定義

仕事がそれなりにつらいけど、本当のガチヤバブラックかと言うとまた違うからそれが辛いところ。近々うちの会社潰れるんじゃ?って思うけど、そう言う時に限って潰れないんだよな。笑

まあ潰れたらまた就職活動しなきゃだからそれも辛いんだけど、会社潰れちゃったからって言えるからちょっと強いかなって。笑

 

この前同期に、一方的に恨んでたら辛いだけですよと言われてすごくハッとした。私はしてもらうことばかり考えていて、自分から働きかける気持ちが枯渇していたことに気がついた。それから、1ヶ月前の仕事で失敗したことに対して思ってたより傷ついてたことにも気がついた。笑

最初、同期のことが無性に羨ましくて仕方なかった。何もしなくても人に好かれる部類の人だから。私はそういった対人能力がからっきしなので、ただ単純に得だろうなと思ったし、この世の中結局そういった人間が強いことは分かってるから、余計に羨ましかった。単純に、生きるのが楽そうだと思ったのだ。

でも実際は違うんだろうし、同期には同期のつらい部分があるんだと思う。私的には完全にリミッター外れてるくらい頑張れることはすごいと思うけど、自分を犠牲にし過ぎてて見ていて怖い。いつかブツってなりそう。まあわからんのだけど。

 

まあ、同期にそう言われたので、私は実際に今ついてる上司に相談してみた。何が不安なのか、何に怯えているのか。こうやって実行に移せる部分は、自分の好きな部分だ。上司は大丈夫だと言ってくれた。なぜだかそれだけで泣きそうになったのは少し笑える。だからか分からないけど、今回の仕事は上司がちゃんとついてくれることになった。めっちゃ頼もしいが、少し物足りなく感じてる自分がいて大層驚いた。思った以上に上司が動いてくれたからか?変にプライドが高いので、たまに自分がめんどくさい。笑 でも、今回は素直に上司のやり方を見ようとは思っている。頼りないとか、仕事できないとか、思われるの嫌だったけど、実際現時点で完全にこなせるわけないから、これで正解な気がする。どう思われたって、極論私には関係ない。笑 いつ辞めたっていい仕事だしなあと思うと、少し気が楽。でも、今回の仕事落ち着いて、会社自体も落ち着いたらまじで転職活動をしないとなあ。この仕事、多分なれたらそこそこ面白いのだとは思うけど、給料あがらんしボーナス出ないし休日出勤代もでないから流石に長くは勤められん。あと会社が単純に鬼遠い。笑 通うのめんどくせえ。もう少し近い職場を探そうと思った。笑

 

思い返せば、私はいつも失敗して、それから軌道修正してから、なんとかうまくいっていたように思う。仕方ないって言ったらなんか変だけど、私はそうやって生きていくんだろうと思う。どうやったって要領よく生きられないのかも。一発じゃ無理。でもそれで良くないか?って今は思う。失敗するから、次もっとよくしようと思えるし、一発でうまくいく時より、当たり前だけど違う景色が見える気がする。

 

この世の中、なんていうか、自分が良いって思ったらなんでも良くなるのかも。だって、物事を決められるのは自分しかいない。自分が明らかに世界の中心だと思う。極論、自分以外の人間は、NPCじゃないってどうしたら言える?昔そういう小説あったなあ。自分以外みんな幽霊だったっていうやつ。もしそうなら、結局信じられるのは自分だけなのだろうと思う。自分には自分しかいない。だから、もっと自分を大切にしなきゃいけないんだと思う。自分を嫌うんじゃなくて、なんだろ、寄り添う的な?慈しむというか。他人の目なんか、別に気にしなくたっていいんだろう。だって他人は私じゃないのだから。

 

私はきっとずっと普通になりたかった。普通のレールを外れた瞬間から。でも、普通の定義なんて曖昧で。勝手に他人の決めた価値観でしかなくて。普通は私を救ってくれやしなかった。私はずっと誰かに、何かに救われたかった。でも、きっとそんなものは無理なんだ。私を救えるのは、私だけなんだ。

 

許されたかった。ここにいていいと言われたかった。でも、きっと、とっくのとうに許されていたんだ。私はもう私を許しているような、気がしている。私は私の生きたいように生きれるでしょう。行きたいところに行けるでしょ。会いたい人に会えるし、見たいものを見れる。全部一から選べる。私は、欲しかった全てをもう持っていたのかもしれない。なら、もうきっと大丈夫な気がする。また挫けるかもしれないけど、それでもきっと大丈夫。なんだか、そんな気がしている。

 

平常心

仕事が辛すぎると思っていたが、そうしていたのは自分だった気がする。

 

楽しんで仕事をする。昔親に楽しい仕事ではなく、仕事を楽しくできるのは自分だけだと言われたことを今、思い出した。

私は自分で仕事をしんどくさせていたのかもしれんな。

 

私は昔からとにかく電話が苦手で、電話ってだけでテンパる。多分ちゃんと聞かなきゃ!この情報引き継がなきゃ!という気持ちが大きすぎるからだと思う。

あと、なんて言えばいいか分からないから。

そのあたりの定型文は同期とか先輩に教えてもらおう。

後は口に出して練習だな。頭で考えるより、もっと体が動くような感じで、平常心で電話出来たら一番最高!

 

電話も楽しいものと思えば楽になる気がする。

目的意識を変えるというか。

楽しくなるように工夫するとか。

電話頑張った日は京王ライナー乗って帰るとか、甘いもの食べて帰るとか、ほしいもの買うとか!

それから、電話口の人と会話できることを感謝して、会話を楽しめばいいのかも。

長い人生の中でその人と会話できることなんて、最初で最後かもしれんし。

そう思ったら電話もそう悪くないものな気がしてきた。

 

なんというか、怒られる!とかダメ出しされる!とかそういったことを恐れすぎてる時点で自分の人生を生きてなかったんだなあと思う、、、。

会社に振り回されてたというか。

だからもっと自分を大切にしてやれば少しは余裕が生まれるのかなあ?

怒られるときは、もうしょうがないから怒られる。

怒られる覚悟さえ出来ていれば、そこまでガーン!!!ってならん気がする。

怒られても別に死なないし、最悪やらかしたら責任取って辞めるとか。なんだろ、少しくらい無責任な方が楽に生きられる気がする。なんでもかんでもクソ真面目に捉えてると、まじ疲れる😭

人生別に一回転んだってすぐ死ぬわけじゃない。

転んでみた方が景色良かったりするかもしれないし。

転んでみないとわからんからなあ〜。

転ぶ前から転ぶ心配しすぎなんだと思う。

先のこと考えたって意味ないから、意味のあること以外は考えるのやめよう!

 

書かないと忘れちゃうからここに残しておく。

少しずつでいいから焦らない自分になっていけるように頑張りたい。

 

4年前と同じ場所で息をしていた

なんとか就職しました。もう転職を考えてはいますが。笑えないけどちょっと笑っちゃう。

 

慣れない仕事が辛すぎて、ずっと好きだった人を撮りたいなあと思った。入った会社がそれなりにやばくて、仕事量もそれに伴う責任も入社一ヶ月に課すようなものでは全然なくて、マジで無理だって思ってた矢先、断られてもいいやと思ってラインを送った。彼は全くラインとかおそらく見ない人なので、いつも返信は日を跨ぐ事が多かったのだが、確かその日中に返信がきたように記憶している。

彼は就職せず、大学院に進学したらしい。私の仕事上、土日必ず休めるかわからないから、いつ撮れるかは確約できないと伝えると、じゃあ日曜は極力空けてくれるという返信がきた。単純に死ぬかと思った。もともと人付き合いを全くしない人なのに、何で撮らせてくれるのかはずっと謎だった。その瞬間、その謎が倍増した。なんて思わせぶりな事を言うんだこの人はと思ったけど、その時の私にとっては、その言葉は希望以外の何者でもなかった。3月末の事だった。

その後、4月中は色々忙しかったり私のメンタルが死んでいたので、全然撮影できるような気力がなかったのだけれど、ゴールデンウィークの5/3~6は何とか休めそうだったので、声をかけた。声をかけた段階でも、完全に休めるかはわからなかったのだけど、それを伝えるとじゃあ4~6は空けておきますと言う返事が帰ってきた。また死ぬかと思った。でも、その予定がマジで私を生かした。特に4月末は仕事でミスって怒られまくっていたので、余計に。

ギリギリまで休めるかマジで危なかったんだけど、何とか休めたので撮影が決まった。4日のことだ。とりあえず撮りたい!という気持ちが先行していたので、どんな写真を撮るかを考えるのをすっかり忘れていた。なので、最初にラインした時に仕事で訪れていた、私にとっても馴染み深い豊洲で撮影することにした。かなり勢いでラインしていた気がする。だって次の日の撮影当日の朝の電車から毎度のように緊張しまくっていたから。

彼を初めて撮ったのは約6年前。高校3年生の時だ。その時も待ち合わせの段階から吐きそうなくらい緊張していたのを今でも鮮明に思い出せる。緊張しすぎてすっぽかしてそのまま帰ろうかガチで悩んでいたくらい。それから1年半くらいブランクがあって、約4年前から度々撮らせてもらっていた。4年前撮らせてもらった時も、めちゃくちゃ緊張していた。待ち合わせの時も緊張しすぎてマジで吐きそうだった。理由は単純、かっこよすぎて。あまりのかっこよさに、改札から出てきた彼をみた瞬間卒倒するかと思った。今思うとすごく懐かしい。そして、なんか自分若かったなとしみじみ思う。撮影の回数を重ねるたびに、少しずつ慣れていったけど、今回みたいに時間が空いてからの撮影になるとやっぱり緊張する。なんか、笑っちゃうんだけどね。

正しく1年ぶりに再会した彼は全然変わってなかった。遅刻癖は治ったようで時間通りに待ち合わせ場所に現れた。私の格好、かなり昔と変わったように思うんだけど迷わずまっすぐこっちきてびっくりした。相変わらず話し始めはぎこちなかったけど、話し始めると割と普通に話せるようになる。私は一応社会人になったので、お昼代とか諸々は奢ると決めていたので奢った。奢ると言うと、ヒモ感がしますねと言われて笑った。

撮影地まで歩いた。日差しはほぼ夏だった。色々な事を聞いたような気がする。去年彼は死ぬほど多忙だったらしい。実際に聞いたらマジですごかった。友達はできましたか?と聞くとそれはできなかったらしいけど、同じゼミの体育会系の人とはたまにラインするらしい。なんか普通によかったなと思った。ゼミに入った影響で人と関わる機会がふえたらしく、彼曰く人間力が上がったらしい。でも撮り始めて、カメラを向けたら少しぎこちなくなったので、本当に人間になったのだと思った。別に嫌な意味ではなく。昔の彼は本当に人らしさが良い意味でも悪い意味でも無かった。だから惹かれたのもきっとある。カメラを向けても物怖じせず、何も考えていない、何も見ていないような彼の目が好きだった。だから撮りたかった。浮世離れしていたのだ。まるで現実に生きてないみたいで。だからこそ、彼は私の理想の被写体だったのだと思う。しかも、そのくせ、時折慈愛に満ちた顔をするのだ。私の思い込みなのかもしれないけど、たまらないと思った。許されているような気持ちになるから。

予定していた場所で撮ったけど、なんか彼の人間らしさも合い間って振るわなかった。場所を変える事にした。また歩く。今まで話せなかった事を話す。ありふれた事だけれど、笑っちゃうくらい幸せだと思った。私は一生この人のことを好きな気がした。不毛なことだと、思うけど。でも、これを書いてる今でも、あの瞬間、本当に幸せだったと断言できる。それこそ、泣きそうになるくらい。

前に仕事でロケハンした時にいいなと思った場所に行った。彼を立たせて、一瞬でここだと思った。夢中で撮った。ひたすら写真を撮った。耳元の音楽と一体化した気がした。生を実感していた。夢中すぎて、全然気づかなかったけど、彼曰く35分くらいも同じ場所で撮っていたらしい。光が美しかった。直射日光で、まっすぐ照らされた彼を撮った。撮っていたら、またあの慈愛の表情がきた。夢中でシャッターを切った。消えないように、ずっと記憶に残るように、ひたすら撮った。本当に、笑っちゃうくらいに、美しかった。ゴールデンウィークなのに人もあまり来なくて、静謐で、芸術品のようだった。最高だった。

あまりにもよく撮れたので、撮り終わった後に最高でした!と伝えると彼は苦笑いしていた。その後、私はよく撮れた事でめちゃくちゃ浮かれていたと思う。それがだいたい15時くらいの時。私は強欲なので、移動して撮りたいと言うと別に良いと言われたので、豊洲から新木場に移動する事にした。4年前も彼を撮ったゲートブリッジに行こうと、なぜか思った。電車に乗り、新木場駅に向かった。

ゲートブリッジのある若洲海浜公園行きのバスまで時間があったので、ファミマでフラッペを買う事にした。実は、豊洲でコンビニ行った時にフラッペを買うつもりだったのだけど、入ったのがローソンだったので売ってなかったのだ。私はそれで結構がっくり来ていた。でも新木場のファミマを見た時にフラッペ買うか迷っていたら、フラッペ買わないんですか?と言われたので買う事にした。案の定、こいつよく覚えてるなと思って私はまた浮かれた。笑

てっきり私だけフラッペ買うと思っていたら、彼も買ったので私はマジでびっくりした。そしてバスが来るまでバス停の横のベンチに座って二人でフラッペを飲んだ。なんだこれデートか?と思ったけど彼はマジで全く微塵もそんなつもりないだろうから残酷だと思った。でも、笑っちゃうけど幸せすぎて私大丈夫か?とも思った。多分大丈夫じゃない。大丈夫じゃないけど、神様本当にありがとうって感じだった。フラッペは普通にめちゃくちゃ美味しかった。

バスに揺られてゲートブリッジまで行く。バスを降りて、海辺まで歩いた。不思議と話は尽きなかった。4年前も彼と訪れた場所でまた彼と歩いているのが不思議だった。写真を撮りながら、4年前のことを思い出したりもした。あの時は本当に必死だった、撮る事に。懐かしい。今も必死だけど、ベクトルが違う。昔の自分が少し好きになった。彼は変わらない。いや、変わったか。撮って移動して撮ってを繰り返す。そうしたら、太陽が分厚い雲に隠れてしまった。夕日がでるところを撮りたかったので、草むらに座って陽を待つ事にした。私がお腹すいた、おやつを買ってくればよかったと呟いたら、持っていたお菓子をくれると言ってくれたのでめっちゃ驚いた。前はそんな事いう感じの人じゃなかったように思っていたから。でもくれると言っていたチョコは暑さで溶けていたので、さすがに断った。ここで食べたら大惨事になるかと思って。でも、彼は普通に食べてて笑った。なんか、ほんと普通じゃないと言うか、なんか、ほんと謎。

結局陽は出なかった。写真を軽く撮って、バスの時間が迫っていたのでバス停に向かう事に。帰りの話をするところで、彼が夕飯食べて帰りますか?と言ったので私はマジで本当に死ぬほど驚いた。そして、今まで生きて来た中で一番浮かれた。友達が見ていたら爆笑するレベルで浮かれまくっていたと思う。とりあえず、単純に、めちゃくちゃ嬉しかった。嬉しすぎて、幸せすぎて死ぬかと思った。私は二つ返事で食べましょう!!!!と言い、ウキウキしながら公園を後にした。バスが鬼ほど混んでいたけど、もうそんな瑣末な事は全くどうだってよかった。彼とご飯が食べれる。それだけで十分幸せだった。もちろん奢ります、と私が言うとマジでヒモ感やばいですねと笑われた。別に、奢り目当てでご飯に誘われたのでも全然構わなかった。彼と1秒でも長く一緒に居たかった、なんて言ったらホント笑えるんだけど、気持ちとしてはそんな感じだったから。

電車に乗りながら、どのご飯屋に行くかとか悩んだけど、なんかめんどくさくなって来たので空いてそうな店ってどっかなかったっけな〜と思った矢先、新宿のラケルが思い浮かんだのでもうそこでいっか、と思って電車で寝ようとしていた。彼は何やらケータイでめちゃくちゃ文字を打ち込んで居たので何かしてるんだな〜と思って居たら、今日撮った写真をフォルダ分けして居たらしい。と言うか、今まで誰かと出かけたら写真を撮って日付と誰と出かけたか書いてクラウドに入れていたらしい。几帳面すぎてびっくりした。てか、前出かけた時とか結構写真撮られた気がしていたが、別に私は可愛くもなんともないので非常に心苦しくなった。でも、思い出としてカウントされているのなら、これ以上幸せな事はないとも思った。マジでこいつ私を調子付かせる天才か?とも思ったけどもうなんかウワーーーーってなったので電車で大人しく寝た。

新宿について、ご飯どうします?と聞くと、電車で調べたんですけどあんまりピンと来なかったと言われてまたもや驚いた。マジで人間力が上がっている。私がオムライス屋なら空いてるかも、オムライスどうです?と言うとじゃあそこでと言われたので大人しくラケルに行った。空いてはいなかったが、普通に座れた。私はいつものオムライスを頼んだ。彼はなんか重そうなハンバーグとオムライスのセットを頼んでいた。少食なのか大食いなのかわかんないっすねと言うと、今日は歩いたのでと言う謎の回答をいただいた。なんかもうその謎の会話のやり取りですら嬉しく感じていたのだから、もう本当にダメな気がする。その後もご飯食べながら色々話した。流石に会ってから6年経っていたので、それも含め今まで聞けなかった色んな話を聞けてすげーーーーーーーーーーーーー幸せだった。幸せすぎて、マジで死ぬかと思うくらい。今日だけで何回死にかけてんだろってくらい。彼は本当に綺麗な顔をしているので、私はずっと疑問だった逆ナンとかされないんすか?とかくだらない質問をした。されないらしい。されなくていいけど、なんでだ!とも思った。こんだけかっこよくて、普通におしゃれしてたら声かけるやろ!!!!!!と思うのは私だけなのだろうか?マジで声かけられないんですか?と聞いてしまったが、かけられないと言う。酒一滴も飲んでなかったのに相当なダル絡みをしていたと今普通に思い返してめちゃくちゃ恥ずかしい。でも普通に疑問だったんだよ・・・・こんなにかっこいいのにさ・・・・。

彼のことを、別に顔がかっこいいからと言うだけの理由で好きになった訳ではない。むしろ、4年前撮った時に優しくしてもらったことの方が、大きかったように思う。でも、私はアホなのでそれがうまく伝えられない。だから顔目当ての女みたいになってしまったようですごく、それが辛い。それだけの理由で6年も撮りたいなんて声かける訳ない。もう自分でもわけわからないレベルで好きだからだ。察しろや!!!!と思う。むしろ今回で察された気もする。線引きされたような気もする。ただの気のせいのような気もする。でも、嫌なら断られているような気もする。

本当は、告白してしまうつもりだった。でも、ラケルを出てから、私はこの時間が終わってしまう事の方が辛くて、あまりにも絶望的で、何も言えなかった。告白して、振られたら、もう会えなくなる。その事を考えたら怖くて何も言えなくなってしまった。彼のことは、ちゃんと被写体としても思っている。でも、会って話せる時間が、あまりにも、美しくて、幸福で、仕方ないのだ。本当に、一生好きな気がするのだ。重い女だと思う。昔、重いからと別の男に振られたことを思い出す。十分私は変われたと思っていたけど、根本は変わらないのかもしれない。でも、別に彼に好かれたいなんてわがままなことは言わない。あわよくば、そんな奇跡みたいな事が起こってくれたらいいのにとは本当に思うけどね。ただ、一年に一度でもいいから、また、会いたい。会って、話したい。その度に、こんな気持ちに苛まれるのかと思うと、もう嫌だって思うんだけど、でも結局会いたくなっちゃうからダメだ。生きているのが辛い。でも、美しい景色を見せてくれるのはいつも彼だったように思う。

次、いつ会えるのかわからない。もう会えないのかな。それは嫌だなあ。会いたいから、会えるように頑張りたい。次こそ、会えたらちゃんと好きだと言いたいなと思った。どう転ぶかはわかんないけど、もうそろそろ伝えないと自分が限界かもしれないと昨日思ったから。彼がどう言うつもりで私に撮られているのか全くわからないけど、一昨日撮った時も、ご飯食べた時もやたら笑っていてくれたので、楽しい思い出として感じてくれていたら、これ以上幸福なことはないと思う。

気持ちを吐き出さないと、ダメになりそうだったから、久々にブログを書いた。私の恋については、知ってる人も多いけれど、最近は直接話せる人も少なくなってきたからここで吐き出すことにした。少しスッキリできたように思う。今日、この記事を書ききる事ができてよかった。美しい思い出を残せた事が嬉しい。最近辛い事が多かったから、余計に。ブログを書くのってやっぱり楽しいな。もっと頻繁に更新できるようにしたいなと思った。

 


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